過ぎし日と来たる日

ル・ピュイの道や日々のあれこれ

10月13日だったか、たまたま映画情報を見ていたら、当日から「月」という作品が上映されることを知ったので、その日のうちに新宿で見てきました。

 

この作品は石井裕也監督が辺見庸氏の同名の小説『月』を映像化したものです。

津久井やまゆり園の事件をモチーフに、外から見れば身体を動かすことができず、意識や思考能力があるのかもわからない入所者の「きーちゃん」を、逆説的に一人称の視点から思考や感情を自由に巡らせるという、小説であるからこそ可能な表現方法を採っています。まあその思考が実に「辺見庸」そのものなのですが。

 

私はと言うと、本書を発売日に買いながらも読み進められず、というのは難しいからではなく、実際の事件の恐ろしさと「きーちゃん」の思考の「痛々しさ」にため息が止まらず、結局今の今まで課題としてズルズルと引っ張ってきてしまいました。

そういうわけで、我ながらズルいとは思いつつも先に映像を見てしまったわけです。(その後、全て読み切りました。)

 

先に言っておくと、本作は映像化するべきではないと考えていました。というのも、事件のインパクトが強すぎて単純に表現として不可能だと思っていたのと、監督次第で観る人たちにある種の固定観念を植え付ける可能性が高いと思ったためです。

実際に映像を見て感じたのは、良くも悪くも「映画」だなと言う感じです。演技の上手い下手はよくわかりませんが、たしかに、俳優陣の迫真の演技には圧倒されるものがあります。ただ、「さとくん」がこの国のこの社会だから産み出された一つの結果という事実にもっと焦点を当てるべきだと感じました。これは本人もそう公言しているし、実際心からそう思っているのでしょうが、彼は「社会を良くしたい」と考えて「良心」からあの事件を起こしたのです。

 

ヴィクトル・ユーゴーは『レ・ミゼラブル』でマドレーヌ市長ことジャン・バルジャンに「最高の法は良心です」と言わせています。普通、「良心」は人を社会的に良いとされる方向に導きますが、今回はそうではありませんでした。ただ、これは私の推測ですが、彼はこの国、社会に漂う「社会的に良いとされる」、人々の隠された本心を吸い取り、本人の言う通り「良いこと」をするに至ったのです。

彼が倒錯したというなら、そもそも社会が倒錯しているのです。人間社会の前提としての諸概念、または目指すべき理想というものが底抜けして、一個人が圧倒的弱者を一方的に殺害するという世界史的にも類を見ない事件を起こしました。しかし、たまたま彼がやっただけで、予備軍のような人たちは山ほどいるような気がします。というのは、我々は常に「何かせよ」と脅迫のように促されている気がするからです。そういう状況では、容易に国家主義に取り込まれやすく、「過去の栄光」を誇るべきもののように自己目的化し、結果「それのために良いこと」をしようと考えてしまうわけです。その証拠に彼は今回の計画を総理大臣、衆院議長に送り、"beautiful  Japan"と言って人を殺していきました。

 

映画は見てくださいとしか言いようがありませんが、いずれにせよこれをキッカケの一つとして「さとくん」が産み出されない社会を目指すほかありません。それは健全でなくてもいい、人心や人権の土台がしっかりした社会です。

平凡でも穏やかな生活を

こんなとき、あの人だったら何を語るだろうか。そういう人のいない世界は不幸だと思う。

 

自分の生まれる前には「戦う知識人」という人種はほぼ絶滅危惧種だったので今更どうもこうもないが、例えばサルトルなら、あるいはサイードなら、どのような言葉で現状に抗議しただろうか。

 

ひどく気分が落ち込む。

イスラエルはかつてナチスが自分たちにしたことと同じ過ちを犯し続けていることに、いったいいつになったら気が付くのだろうか。これは日本も同様に。

 

かつて、徐京植先生が言っていた。「人は犠牲者を思い出さない。過去に学ばない。…「平和」が失われようとしているだけではない。その価値のために闘い、自らを犠牲にした人々の記憶も失われ、そのような生き方の前で謙虚であろうとする精神そのものが失われようとしているのである。」

すべてを忘れることができたらどれだけ楽だろう。だが、それはより残酷な道だ。

 

誰かの声がほしい。悲鳴ではなく、理性の声が。

"Time" is money?

資本主義社会においては、自力でお金を生み出すことができない「労働者」は自らの労働力を資本家に差し出して、その代わりとして賃金をもらう、という構造が一般です。

世界各地の新しい建築物、土地の再開発を見る機会が増え、いったいどこにこんなお金があるのかと非常に訝しく思うのですが、この国も年々借金を増やしながらも方々に投資する予算を増やしているので、世界全体のお金の量自体が増えて、それによって使えるお金も増えているのかなーなんて思ったりします。経済に疎いので詳しいことは知りませんが。

今から100年近く前、世界恐慌が起こったとき、アメリカがケインズの経済学からニューディール政策を採って経済を復活させたのは知られた話ですが、そのケインズが言うには今後技術が進歩すれば、人々は身を粉にして働かずとも十分な稼ぎを得る余裕ができるとのことです。

実際はどうでしょう。われわれの「時間」は技術の進歩に寄り添うように、ますます「有効活用」されるようになってはいないでしょうか。

普通、「時は金なり」という格言は時間は貴重なものだという「時」を消費する側が主体となることばだと思うのですが、例えば時給労働を考えたとき、これは意味が逆転するように思われます。つまり、われわれは自分に与えられた時間を「無駄遣い」させられているのです。

雇用する側にとっては非雇用者が有能であればあるほど「時は金なり」になるわけで、これは奴隷根性と言われても仕方のないことだと思います。

前にも書きましたが、ここ10年ほどで拝金主義が膨れ上がったように感じます。私は拝金主義それ自体は悪いこととは思いません。というか、資本主義においては自然の成り行きだと思います。しかし、相対的に全世界のお金の量が増えたと仮定して、価値を証明する基準としての貨幣の位置付けが絶対的なものになりつつあるという意味で、現在の拝金主義には嫌悪感を覚えます。

世の不幸の大半は金銭問題ではないでしょうか。誰かが得をしているということは誰かが損しているわけで、仮に自業自得や不可抗力であったとしても、そのような不幸は誰でも避けてほしいものです。

思うに、貨幣を別の等価価値に移した相互関係が築ければ、相対的に生活におけるお金の重要性が減るのではないでしょうか。以前、「時間銀行」なる概念を導入したスペインの自治体についての本を読んだことがありますが、このような貨幣以外での資本関係によって精神的に解放される面が一部あると思われます。

単純に精神面でのみ幸福感が増せば金などどうでもよいとはなりませんが、もうそろそろ自分の「時間」を他人の決めた貨幣価値に売り渡すのではなく、それに代わる価値に分散させていってもよいのではないでしょうか。

そのお金は誰のものか

唐突ですが、魯迅の小説に『狂人日記』というものがあります。この作品も例に漏れず、当時の中国の社会背景や因習などを知らなければ分かりにくいでしょう。端的に言えば、「人が人を食う社会」を描いているのです。

これは文字通り、病気を治すために人肉や血を材料にした饅頭などの食べものが食されていたというカニバルの面もありますが、むしろ、自分のために誰かを犠牲にするという社会構造について描いていると思われます。

さて、現代ではどうでしょう?

一般的に言って、正当に働いて稼いだお金は自分のものに違いありません。しかし、そのお金は本当に間違いなく自分のものでしょうか?

正規雇用の人はだいたいの方が自分の時給および給与額に不満を持っているのではないかと思うのですが、これはよく言われるように「食いものにされている」からですよね。「食っている」のは誰かと言えば、もちろん自分より上の人たちとなるわけですが、逆に言えば自分より給与が少ない人たちを自分が「食っている」状況もあり得るわけです。それ以前に、「割に合う」仕事というものがあるのかという問題がありますが。

だから私の給料は正当ではないと言いたいのではなく、魯迅の描くところの「人が人を食う社会」という比喩は意識しておくべきだと思うのです。なぜなら、それこそが人の不幸や痛みへの共感につながると考えるからです。

この10年で人のお金の使い方が大いに変化したように感じます。なんというか、有名人だけでなく、「一般人」が何かに費やすお金の量が桁違いに増えた気がします。実質賃金は減っていると言われているにもかかわらず。

「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、こういう小説から学ぶことも大いにあるとこの頃思います。

Day 23

2022/9/2

23日目

Larressingle(Gîte La Halte de Larressingle) ~ Eauze(Gîte communal) : 28km

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夜中に雷雨があって何度か目が覚めました。

それとこの辺り空軍が演習しているのか、飛行機の音もけっこう聞こえましたね😣まったく、のんびりした場所を飛ぶなんて。

 

今日も少し距離があるので朝食は早めの6時半にしてもらいました。

自家製のパンと、コンフィチュールもたくさんあり、そのいくつかも自家製でした😋

足首はまだ痛みがあるものの、腫れやむくみも多少は引いたのでなんとかイケそう。

7時半の出発前には雨も止み、ずぶ濡れは避けられそうです😌

 

お世話になったイサベルとパトリスともお別れです。非常に心のこもった歓迎で気持ちよく過ごせました☺️

左からパトリス、イサベル、ポール

お二人とも、どうもありがとう😊

 

出発後はGR65に戻る道を進みます。と言っても、宿の前の道路を10分ほどまっすぐ進むだけですが。

Pont d'Artigues

GRに戻るとすぐに石の橋があります。

もともとは古い橋のようですが、どうやら修復されたのかだいぶ新しく見えました。

 

橋を渡る前にまた小雨が😰

長引かないでほしいけど。

 

橋を渡ったら次の十字路で右折、10分ほどその細い舗道を進みます。マークがあるところで左折し、土の道に入ります👣

この辺りで雨は止みました😊

ポールと話しながらす進みます。

振り返ると太陽が☀️

前を行くポール

ポール、背筋がピンとしていて70歳とは思えない😳

風景が美しすぎる🥺

オヴィラールの時もそうでしたが、雨上がりの朝はとても美しくなります。

こういう所にはいるだけで幸せな気持ちになります。

🥺💨

出発から2時間弱で次の村モンレアル・デュ・ジェール(Montréal-du-Gers)に到着しました。

 

このモンレアルも「最も美しい村」の一つで、バスティードの村です。

何本かの通りが平行に並んでおり、村の中心にはアーケードに囲まれた広場があります。作りは同じ「美しい村」のロゼルトによく似ています。

ちょうどマルシェをやっていたのでポールと少し覗いていきました。

教会も。

あまり陽の入らない、薄暗い教会でした。

 

モンレアルには長居せずに出発。

村の少し西方にはガロ・ロマン時代の遺跡が残されていますが今回はスルー。

ここから南下していきます。

一緒に歩いているポールから自宅で採れた小さなリンゴのお裾分け😊🍎

ナチュラルと言っていた通り、栽培されたものとは違い、素朴な味でおいしい😋

 

田舎道から林の道を進むと、橋の下に下りていく道に90度方向変換⤴️一路西へ進みます。

この辺りからは一面のブドウ畑が広がります。たぶん、アルマニャック用のブドウでしょう🍇

ちょっと取って食べてみたかったけど我慢我慢😅

畑の中や田舎道をひたすら歩いていきます。途中、民家や休憩できるところはほとんどありません。

 

モンレアルから2時間ほど歩くと、登り坂の上に休憩所が見えてきます。

ル・ミル・ボルヌというGîte兼休憩所です。

そこであれ?見たことあるおじさんが🙄

昨夜ラレサングルのイサベルとパトリスの家に遊びに来たおじさんでした。皆フランス語を喋っていたのでわからなかったのですが、確かに明日会えるよみたいなことは言っていたのです。こちらの方だったんですね☺️

ちょうどお昼時だし、軽く食事もとることに🍽️

トマトとキュウリのサラダ🍅🥒

 

ここの名前とシンボル、どういう意味かと思ったら、サンティアゴまで残りちょうど1000km地点ということでした😀

1000km😳⁉️

まだまだやんか😅

気分的にはもう1000km歩いた感じなんだが😂

そういえば、ポールがなぜ歩くのが速いのか説明していませんでした。

彼女はピュイ・ド・ドームという火山地帯の辺りに住んでいるのですが、地域の人たちに体育や体操を教えているのだそうです🤸おまけに、標高の高い場所で毎日3時間ほどは歩いているらしいので、心肺機能も強いんです。

彼女が漏らしていた不満は荷物が重いということだけで、道がキツいとかそういう話はいっさい聞きませんでした。

まったく驚くべきことです😳

 

ミル・ボルヌを出発して道を降っていくと、ひたすら林の一本道を歩き続けます🌲🌲

結論から言うと、オーズまでの8kmほど2時間あまり、この一本道が続きました😅

さすがに足首の古傷が痛くなり始めて少ししんどかったですが、ポールも一緒だったので安心して歩けました。ただ、誰もいないと不気味だし、道が間違っていないか心配になるかも。

この道がなぜ一本かと言うと、もともと廃線になった線路が通っていたからなんです。途中、このブルターニュ・ダルマニャック(Bretagne d'Armagnac)という村の廃駅があります。こちらの線路は完全に取り外されていますが、フランスにもあちこちに廃線跡の線路を見かけました。人の跡を見ると少し寂しさを感じます。

 

2時間はさすがに長かった😰

町が近づいてきた時はさすがにホッとしました💨というわけで15時前にオーズに到着。

ちなみに、オーズは「ェオーズ」みたいな発音でした。

想像では木が多くてキレイな町をイメージしていたのですが、パッと見、工業的な町という感じです😕

とりあえず予約したGîteへ。この町では町営のGîte communalを取ったので観光案内所で手続きをします。手続きは全てポールにおまかせ😙

Gîteは観光案内所のすぐそばで町の中心アルマニャック広場の脇にありました。

中は誰も居ず、2階にベッドが6台ある広い部屋と部屋の中にシャワー&トイレ、別室にダイニングがあります。3階もあるようですが、見ていないので詳細不明。

建物は古いですが清潔でかなり良いです⭕️何より立地がバツグン◎

オレンジ食べ放題

 

シャワー、洗濯を終えたら各々町を散策しに行きます。各々と言ってもポールと2人だけなのですが😅と思ったら雨が降ってきたので即座に撤収🌀

また今後の行程を考えます。

2日後のエール・シュル・ラドゥールまでは予約しているので大丈夫。ポールにその後どうするか聞くと、アルザック(Alzacq-Arraziguet)が〜と言っているので、アルザックまで33kmもあるからその7km手前のピンボ(Pimbo)にしようかと思うと言うと、そこがいい!となりました😄

ポールは"Miam Miam Dodo"を見ながら距離を試算していたのですが、どうやら計算を間違えていたようです。

さっそくTELしてもらい予約😙ここも村営の宿Gîte communalです。

 

その後の行程ももう少し考えます。ピンボからアルザックまで7km、その後は小さな集落がポツポツあるようで、割とこまめに宿を設定できそうでした。

この頃になると、国境の村サン・ジャン・ピエ・ド・ポールから逆算してどこに泊まるかという風な考え方も同時にしていました。

私の場合だと、1日前はオスタバ(Ostabat)、2日前はアルー(Aroue)、3日前はナヴァランクス(Navarrenx)の行程で進みたかったので、そこから1日25km前後の行程を同時に考えていました。で、ちょうど良さそうだったのが、ナヴァランクスの22km手前マスラック(Maslacq)に一泊、その前日、つまりピンボから歩く日はマスラックから23km手前のユザン(Uzan)がちょうどかなーという感じです。

あまりポールに頼ってばかりでは申し訳なかったので、ユザンには"Chez Darribère"という所にメールで連絡を入れときました。

ポールにユザンにしようと思うというと、彼女はもう少し歩きたいからその少し先のポンプ(Pomps)にしようかなーと言っていました。

で、その後は?と聞かれたので、先程言ったように、マスラック、ナヴァランクス、アルー、オスタバ、サン・ジャンと教えたらやっぱりそれがいいということになりました😄

 

雨が止んだようなので町に出てみましょう。

Eauze

まずはカテドラルへ。

外観と内部の印象が全然ちがう…🙄

非常に美しい教会です。

特に、高い天井と壁の色が印象的で、ゴシックにしてはかなりスッキリした感じですね。

まだら模様と言えば良いのでしょうか。大小さまざまな石やレンガによって組み立てられています。

うーん。良い場所です。

 

外に出て周囲を巡ってみます。

……😅あまりキレイな町ではないですね。キレイではないというのはゴミが多いということではなくて、見所が少なく特徴がないという意味です。なんていうか、ただ家が立ち並んでいるだけなんです。

フラフラ歩いてカテドラル前に戻ってくるとポールがぽつねんと立っていました。

そして一言、"Not beautiful"😂

やっぱりそうか、と思いました。逆に言えば、これまで巡ってきたところが非常に美しかったということですね😉

足も痛かったし戻ろうかと思ったけど、久々にお菓子でも食べようと近くのパティスリーへ。適当に2つ買って部屋へ戻ります。

エクレール

上のチョコが厚めでクリームたっぷり。これは美味しい😋

アーモンドタルト

味は忘れました。ということは普通だったのでしょう。コーヒーも淹れてひと休みです。

 

しばらくマッサージしたり日記を書いたりしていましたが、19時半ごろ夕飯を食べにポールと外に出ることにしました。

特に食べたいものもなかったので、目の前のアルマニャック広場のレストランで済ませることに。ここでも翻訳機能を駆使してポールと会話しながら過ごしました☺️

ポールにGRの印象を聞かれ、はじめの方に若い世代や小さな子ども連れで歩く家族が多くて驚いたという話をしたら、宗教的な教えを実践する精神的な試みとしてちょうど良いという答えが返ってきました。これは家族のハイカーに対しては文字通り信仰心の強さを言っているのと、それとは別に、この触れ合いの道を若者が望んでいることが現代に対する精神的な解放の試みになっているという意味だと思います。以前にも話したように、私が触れ合った若者はみなフレンドリーで自由な雰囲気を謳歌していました。

 

ラム肉のステーキ

うまっ😳

臭みがなく、味わい深くておいしいです😋

ポテトが多すぎたのはちょっと余計でした。

この辺りはフォアグラが有名で、このレストランのメニューにもあったのですが、気が進みませんでした。

昔スペインにいたころ、新年を迎えるパーティをやって各自持ち寄りで料理を出し合ったところ、ボルドーから来ていた女の子が自家製のフォアグラを持ってきて、その美味さに驚いたものです。それまではただの脂臭いパテかと思っていたのですが、やっぱり美味しいものを食べれば違うんですね。

 

料理を食べ終えて宿へ帰ります。

Place d'Armagnac

結局、この日もポールと2人だけの夜でした。

翌朝は明け方に町の人がパンを持ってきてくれるということです。

 

後でスペインに入ってから、この頃のことをよく思い返しました。

モワサックから先はハイカーもそれまでより格段に少なく、歩くのも眠るのも穏やかで心地良い日々が続いていました。フランスには慣れたものの、早くスペインに入りたいという気持ちもあったので、今となってはフランスをもっともっとゆっくり歩けば良かったなーと、後悔ではないのですが、時間をかけてもよかったと思います。

ポールはロンスヴォーまでなので、言っても数えるほどしか一緒にいられません。このような日々が後になって貴重だったなと気づくのが人生の難しさかもしれませんね。

 

社会は雑な方がいい

最近、外国人観光客が急増して、Youtubeにもやたらオススメで彼らへの街頭インタビューが出てきます。

皆一様に、「日本はとても清潔」と口にします。これはたしかにその通りなのでしょう。

 

日本から外国に旅行に行くと、ラクガキの多さやもちろんゴミのポイ捨ても多く、辟易することがけっこうあります。

東京も缶やペットボトルのポイ捨てはまあまあ見受けられますが、まあ優しいものです。そういう意味で「日本は清潔でキレイ」とは言えます。

しかし、それでも外国の町はキレイでいいなあと思うわけです。

私がたとえばヨーロッパのどこかの町の写真を見てとてもキレイに思えるのは、そのような細かいところではなく、そこに写る全体を見て「ああ、キレイだな」と感じるからです。

 

私とて町が汚いことが良いとは思いませんが、「キレイにしすぎる」よりはよほど健全だと思うのです。

先程の例でヨーロッパの町を挙げましたが、あれは建物のキレイさ以上に、町としての統一感がその要因でしょう。では、日本の町をどこか撮ってみるとして、道路はきれいかもしれないけれど、町全体としてキレイかと問われると疑問です。

この辺の考えの違いが息苦しさ、窮屈さにつながっているのではないでしょうか。

 

たしかに、細部にこだわってより良いものを生み出すことは立派なことでしょう。しかし、これが国全体、社会全体で行われたら。

これは互いの監視を強め、暗黙の了解を基にした陰湿な共同体になります。

 

大きな枠だけしっかりしていれば、社会は雑な方がいい。

以上、町を見比べて感じたことでした。

Day 22

2022/9/1

22日目

La Romieu(La Refuge du Pèlerin) ~ Larressingle(Gîte La Halte de Larressingle) : 21km

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全くもってポールのせいではないのですが、揺れてあまりよく眠れず。寝返りだけでもかなりゆらゆらするんですよね😣

フランスで2段ベッドだったのはコンクとラ・ロミューだけで、コンクのときはあまり気にならなかった気がします。

後々の話ですが、スペインのカミーノは巡礼者がケタ違いに増えるのでほぼ2段ベッドです。こればっかりはいくら経験しても慣れませんでした💦

今日はラレサングル(Larressingle)まで21kmほど。昨日が長かったので、その代わりと言ってはなんですが割と短めですね🙂

ラレサングルも「最も美しい村」のひとつで、GR65からはほんのちょっと外にあります。

距離がちょうど良かったというのもあるけど、ラレサングルは9日目に泊まったリヴィニャックのクレールがオススメしてくれた場所なので、ぜひ訪れてみようと思っていました。

 

昨日の残りのバゲットを適当に食べて、8時に出発です。

ポールは10分くらい前に先に出発しました👋

まずは、カステルノー=シュル=ローヴィニョンを目指し、その後はコンドン(Condom)まで行きます。

5分ほど幹線道路D41を歩いてから右折し、脇道に入ります。

道が😅

倒木はうまいこと避けていきましょう。

舗道と草の道を交互に進んでいきます。

道はけっこう野生味溢れています。

林を抜けて開けたところへ。

曇りというか、晴れそうで晴れなさそうな感じです。

この辺のヒマワリは枯れています。

そうこうしているうちにカステルノー=シュル=ローヴィニョンへ到着。

ここも小さな昔ながらの集落という感じでした。

ベンチで水だけ飲んで出発。

この村も丘の上にあるのでまた降ります。

降ったらまた登り。

Église Saint-Germaine de Baradieu

登った先に小さな教会があります。

ここは庭が広く、ひと休みするのにも最適🧺🥪

古いですが中もよく整備され、非常に素敵な教会です。ポールもここでひと休みしていました😊

 

ポールは先に出発したので後を追いかけましょう。ここからコンドンまではだいたい7〜8kmってところでしょうか。

この辺りは小さいですが一面にヒマワリが咲いていました。

なかなか晴れ間が見えない🫥

また林を降っていくと中規模の湖があり、そこに沿ってぐるっと歩いていきます。

あとは湖から西方へひたすら一直線に歩けばコンドンに到着します。ここはさして言うこともないので割愛😅

お😀

町が見えてきました。

けっこう大きな町なんですかね?

カテドラルへ向かいます。

😳

コンドン到着❗️

町もなかなか大きいですが、カテドラルも大きいですね。

周囲はカフェがたくさんあり、賑わいを見せています🙂

出発からここまで2時間40分くらいかかりました。町を見つつ休憩しましょう☕️

 

コンドンはジェール県の中心都市のひとつだそうで、ここを拠点にアルマニャックのワイナリーや「最も美しい村」など近郊の村への観光ができるようです。

また、撮り忘れてしまいましたが、デュマの『ダルタニアン物語』の登場人物、ダルタニアンと3銃士の像がカテドラル前にあります。ダルタニアンはここから南へ40kmほど行ったリュピアック(Lupiac)近郊のChâteau de Castrlmoreが生家なのだそうです🏰

ファサード

カテドラルはゴシック建築ですね。壮大で迫力があります。

奥行きがあり、とても明るく柔らかな印象です。ゴシックはガチガチな印象を受けることもままありますが、彩光のおかげかふんわりしています。

ステンドグラスも美しいですね。

教会内には巡礼者に向けた情報コーナーもあります。まあ私は全然読めないのでチラ見しただけでしたが👀

Cathédrale Saint-Pierre

なかなかに迫力があります。

ツーリストインフォメーションでスタンプをもらいます。

『ダルタニアン物語』をモチーフにしたものですね😉

広場のカフェでひと休み☕️

40分ほどのんびりしました。

なんか、この頃になると、最初にずっとゼーゼーして歩いていたのが嘘みたいな気がしてきます🙄9月に入ったとはいえ、暑さはまだまだ厳しいのですが、慣れたせいかツラくはなくなっていました。

誰かから、この辺りになるとちょっとつまらなくなるよとは言われたのですが、毎日違う道を歩くのでそんなことはありませんでした😊ただ、起伏やドラマチックな風景の移り変わりは少ないので、そういう意味ではつまらなく感じる人もいるでしょう。

私にとってはポールの存在がかなり大きかったですね。ずっと一緒にいるわけではないのですが、朝晩はだいたい2人で食事しながら会話したり、そういうのが非常に幸せでした☺️

 

さてそろそろ出発しましょうか。

町のブーランジュリーで適当にサンドウィッチを買ってコンドンを後にします。

バイズ川(la Baïse)にかかる橋を渡って、川沿いの散歩道を少し歩いていきます。

la Baïse

奥に緑窓のきれいな家が見えますね。

そういえば、ここコンドンには日本語が使えるGîteがあるみたいです😳

"Miam Miam Dodo"の宿情報にはオーナーの使える言語も記載されているのですが、"Gîte Le Relais Saint Jacques"という宿はGR65上でおそらく唯一日本語可の宿です。

これまで英語可の宿でも全然というところもあったので、どこまで使えるかは若干怪しいですが、いずれにせよ評判も良さそうですし、泊まってみるといいかもしれません。

川沿いの道

 

散歩道を出口まで進んだら左折します。今度は住宅街の中へ。しばらく歩くとロータリーがあり、そこの近くの木の下にいくつかピクニックテーブルがあるので休憩できます。まぁコンドンを出発したばかりですが、急ぐ必要もないので先程買ったパンでも食べましょうか😉

ここのピクニックテーブル、なかなかボロくてイスが底抜けしているものもありました😅とりあえず座れるので問題ありませんが。

12時過ぎて、いつの間にか晴れていたのでかなり日差しが厳しくなっていました☀️こまめな休息が必要です。

 

また出発👣

少し登り道があります。

丘の上に出ました😀

なかなか良い雰囲気です⭕️

ちらほらワイン畑も増えてきました。

アルマニャックの産地の中心地はオーズ(Eauze)らしいのですが、この辺も盛んなようですね。

6日目くらいにエスパリオンの4km先、ベシュエジュールで最初に予約していたドメーヌ・ダルマニャックという宿もこの地域と関係あるのでしょう。あの宿は泊まれなくて本当に残念だった😢

 

だいたい1時間ギリかからないくらいでしょうか。ある看板が見えてきます。

「フランスで最も美しい村のひとつ」と書かれたこの看板。ラレサングルの入口です。

村の中心まではまだ1km強あるのですが、ほぼ到着ですね😄

看板の方向に進めば中心へ、GR65は東方向の林の中を通ります。ラレサングルはGRから外れているのでパスしても問題ありません。

荷物だけでも置きたいから宿の案内に沿ってGRルートの方へ進みます。

林の途中で右折し、さらに林の中を進みます。

Gîte la Halte de Larressingle

13時半に到着です😄

 

中を覗きこんでみると、ポニーテールの男性と短パンの女性がテラスでゆったり話しているのが見えました🫡

彼らがオーナーのイサベルとパトリス夫妻ですね👫

オープン15時と聞いていたのだけど、快く受け入れてくれました☺️

パトリスがシロップ水を入れてくれます。なんだかんだ暑かったので、染みわたるー😌

入口にパックパック、ストック、靴を置いて、中の案内は奥さんのイサベルが💁‍♀️

ダイニング

寝室は2Fでした。

寝室

洗面室&シャワー

非常にキレイで広々、作りも機能的でとても良いです😙昨夜が激狭だったからより開放感があります。

お庭も広々。

洗濯物もすぐに乾きそうです☀️

そうこうしているうちにポールも到着しました🙋

イサベルからラレサングルを見ておいでよと。

おいしいアイスクリーム屋さんがあるから忘れちゃダメだよとも言われました🙅‍♀️

よし行くか!

 

ラレサングルの中心までは徒歩10分ほどでした。空は飛行機がよく通るのか、飛行機雲だらけ。

お城が見えてきました。

入場は無料です。

お城というより、要塞の中に小さな居住区がある感じですかね。13世紀のものらしいですが、なんでこんな田舎に要塞を作る必要があったのでしょうか🤔

ツーリストインフォメーションも中の一室にあります。お姉さんに城に入れるのか聞いたら、個人所有だから立入はできないとのこと😕でもまあ見た感じ城自体は廃れていますね。

奥の赤い窓の家がℹ️

アイス屋さんがあったので食べましょう🍨

大人気❣️

100%手作りのアイスだそうで、味のバリエーションも豊富にあります。

2つ選べたのでシトロン・ヴェールとスリーズにしました。

🤤

んーまい😋

濃厚だけど後味スッキリで、いかにも手作りという味わいです。これはおいしい😋

あっという間に完食です。

ここはテラス席がたくさんあるので皆さん一様にアイスを食べています。

要塞の内部は城、アイス屋、本屋、インフォメーション、お土産屋があります。

本屋もなかなかいい感じです。

本屋から

アイス屋さんにポールがいますね😊

お城

教会はこぢんまりしています。

なんか、絵の雰囲気がシャガールみたいですね。

要塞内は狭くて、3分もあれば一周できるくらいです。

ちょっと外に出てみましょうか➡️

 

ラレサングルは村、というか、ほぼ集落に近いですね😅要塞の向かいに細い小道が3本ほどあってそこに家が並んでいるだけです。

Larressingle

なんか、どことなく沖縄の離島に雰囲気が似ています。ちょっと懐かしさを覚えますねー。

家の壁によくトカゲを発見できます。

通りを歩いていると、ほのかに甘い香りが漂ってきます。

そこら中でイチジクが成っていて、これがなんとも言えない雰囲気を醸し出しています。

あと、よくわからないけど、Xのような飾りがどの家の壁にもありますね。

後でイサベルに聞いたのですが、この村の住民はアイス屋さんと本屋さん、それと城の向かいでピザ屋さんをやっている3家族しかいないそうです😳住宅自体はそれよりももう少しあったけど、違うのかな?道理で静かなわけだ。

観光客もいるにはいますが、大勢ではないのでこの村のためにもこれくらいが良いでしょう。

ボチボチ戻りましょうか🙂

 

宿までの道がこれまた長閑で良いんですよね☺️

本当に婆ちゃんちに帰ったような感じなんですよ。いやー、リヴィニャックのクレールが良いところだと言っていたのもわかります。ラ・ロミューもここも、とても穏やかです。

着きました☺️

 

夕食までポールと今後の予定を考えたりしました📖

明日はオーズにまた2人で予約してあるのでOK。明後日、ノガロ(Nogaro)とその翌々日エール=シュル=ラドゥール(Aire-sur-l'Adour)も目当ての宿に連絡しといたらOKの返事をもらっていたので良し👌

ポールにそのことを言ったら早速その2軒に連絡して予約していました😄

彼女は律儀にクレデンシィアル、"Miam Miam Dodo"それと自分のノートの3箇所にスタンプをそれぞれもらっていて、そのノートに「友(ポール)へのメッセージ」を書いてと頼んできました。

ポールと出会わなくても別のカタチで旅は続いたでしょう。しかし、昨夜気づいたように、この年齢差による関係性がとても良かったように思います。彼女もよく喋るけど、穏和で思いやりがあり、重い荷物を背負って歩く姿を見ていると、自分も自然と前へ歩いているのです。

彼女は意地でも自分で荷物を背負います。なぜなら自分はPèlerinだからと言います。彼女のこの姿勢はスペインを歩いたときによく思い出しました。

🪴

 

連日の歩行のせいか、足首の古傷の部分が腫れて歩くのもなかなかしんどかったので、イサベルに頼んで保冷剤で冷やしました🧊これで翌朝どうなるかなって感じですかね。

 

例によって19時から夕食、だったのですが、ここはちょっと変わっていて、喋りながらアペロを1時間くらい楽しんでからの夕食でした。しかも客は2人だけ。まったりモードです😌

白ワインにメロン、トマト、ポッキー。

ダイニングではなく、外のテラスで過ごします。

 

昨夜、Google翻訳の音声機能がけっこうマトモだとわかったので、フランス語で会話している部分はモードONにして聞いてみたら、断片的にですが何を喋っているかわかったので、会話に加われました😳

ちなみに、イサベルとパトリスは英語を使えたので、会話自体は問題ありません😊

この2人も好人物というか、いろいろ会ってきた人の中でも特に印象に残っている方々ですね。マス・ド・ダラのエステルの家で、ボルドーから来ていた夫婦のパスカルという旦那さんの表情がとても印象的だと話しましたが、2人もそれに近いです。

穏和、この穏和さが村の雰囲気ともまた合っていて、彼らがここに住んでいるのもなんとなく分かる気がしてきます。

話を聞くと、2人はかつて北部のリールに住んでいて、そこから自転車で世界中を旅したのでした。一番遠くへは、ロシア経由で中国へ入国し、果てはカンボジアまで走ったのだとか🚵‍♀️

自転車は環境に負担をかけず遠くまで行ける乗り物。夫のパトリスはwebグラフィックデザイナーで、PCさえあれば旅先で仕事もできるのでこのようなワンダフルな旅をイサベルを連れてしたのでした。

 

さて、夕食です。

灯はロウソクだけ、でもそこまで暗くありません。パンはパトリスの手作り、料理は全てBIOのもので、とてもおいしかったです😋

クスクスとビーツのサラダ

🤤

翻訳を眺めていて、パトリスのある言葉に目が釘付けになりました。

「楽しいことだけが彼らを楽しいものにする」

これは非常に含蓄があるなーと思いました😌なんかGR65を歩くハイカーと似ている気がするんですよね。

人を「楽しいものにする」って、ありそうでないように思います。この言い方は他人から見て「楽しいもの」に見えるってことですよね?しかもこれ、単純に「楽しそう」ってことではなくて、その人の人生が「豊かに見える」ってことじゃないかと彼らの表情を見て感じたんですよ。

デザート

 

部屋に戻ってからポールと、ここに来て本当に良かったという話をしました😊

もう本当に良かった、これに尽きます。

同じことを言う人は探せばいるでしょうが、同じシチュエーションはないでしょう。私にとってはポールも同様です。

改めて、人と言葉の出会いに感謝する一日になりました☺️