過ぎし日と来たる日

ル・ピュイの道や日々のあれこれ

Day 30

2022/9/9

30日目

Navarrenx(Gîte Le Cri de la Girafe) ~ Aroue(Gîte a la Ferme Bohoteguia) : 20km

[http://]

朝5時半に目が覚めて、そのまま眠らずに1時間後起床☀️

遠くの方で誰かが大イビキをかいていましたが、優秀な耳栓のせいか、私は全く気になりませんでした。それどころか、珍しくとてもよく眠れてスッキリしています。

この日は朝から雨。

昨夜の取り決めで朝食は7時からということになっていたのですが、例の5人組が6時すぎから玄関にあるベンチでなぜか朝食待ち…🤨

私はポールと一緒に朝食へ降りていって、ゆっくり食べましたが、彼らは7時と同時に食べて、食い散らかしてさっさと出発していきました😨

私が一番最後だったので、食後に片付けを手伝っていたところ、ファビアンから感謝と謝罪を受けました。私としては、いくら宿泊施設とはいえ、見ず知らずの人にこれだけの歓迎をしてくれることに毎回頭が下がる思いでしたし、ある意味でこれは瞬発的な感謝の表現でしかありません。

そして、ファビアンが謝ってきたのは、前述の5人組のような人たちを受け入れ、送り出すことは自分の本意ではなく、それが彼ら以外の巡礼者に対して失礼になっているかもしれないということでした。というのも、彼らは毎日スーツケースを次の宿へ送っていたからです。そして、それ以上に、自分勝手な振る舞いが目に付いたことです。

ファビアンはカオールのセルジュと同じように、スーツケースの巡礼者の受け入れに悩んでいるようです。私は、彼らが年配者であり、それゆえに荷物配送をしても歩きたいという思いはわかります。実際、私も4日目に一度利用しましたし、難易度はぐっと下がるでしょう。おそらく、ファビアンやセルジュにとって、そのことは問題ではないのです。

 

彼らが葛藤しているのは、おそらく、「巡礼者への奉仕」という自分が少なからず抱いているエスプリが、そのような巡礼者と話していると一致しないことではないでしょうか。私もずっと歩いてきて、自然と一緒に歩きたい人たちと親しくなっていきました。それは今まで紹介した人々への愛着からもわかるかと思います。私は彼らと歩けてよかったと今でも心から思うし、それと同時に、途上で知り合った町の人や宿の人への親しみも忘れられない。私には、それこそが私が歩いてきたことの意味だと思うのです。それは、ファビアンやセルジュたちも同じではないでしょうか。まして、彼らは巡礼の先輩です。フランス人のことはともかく、私に対して非常に気を遣ってくれていたはずです。

ファビアンにはこちらは気にしていないから心配しないで、とは言いましたが、ちょっとかわいそうだなとは感じました。

 

こちらの朝食で出たバゲットが水分量が多く、非常に私好みで美味しかったです😊なんでモチモチというのは魅力的なんですかねー?

そういえば、ここの宿の名前"Le Cri de la Girafe"というのは「キリンの鳴き声」という意味ですが、ファビアンに名前の由来を聞いたのです🦒そしたら、「君はキリンの鳴き声を聞いたことがあるかい?」と尋ねられました。

…ないです。

ファビアンいわく、キリンは滅多に鳴かないのだそう。それが一種の伝説というか、そういう意味合いを込めているのだとか。

ちょっと記憶があやふやで確かではありませんが、そんな話をしていました😊いずれにせよ、ファビアンのユーモアによって付けられているということですね。

 

さて長居しました。

マリアにも挨拶して出発です。サン=ジャックに着いたら連絡ちょうだいね😉と言われました。ファビアンともども、大変お世話になり、とても快適でした。どうもありがとう😊

 

宿を出て、すぐ近くのブーランジュリーで何か買いましょう。雨もいつ止むかわかりませんし☔️

町中を進み、ツーリストオフィスの角を左折したらサン=タントワーヌ門から城壁の外へ出ます。門は外観が普通の建物なのでちょっとわかりづらいですが、一応目の前にGRマークがあるのでわかると思います。

門を出たら橋を渡ります。そして、分岐を右に進み、道なりに。と、さっそくポールに追いつきました😀そのまま一緒に歩きます👫

話はさっきファビアンから謝られた件について。事情と私の推測を話すと、ポールも彼らのことをあまりよく思っていなかったようで、「巡礼者」ではないと言っていました。

 

道なりに進み、Gîteのある場所から右折して、若干の登り道に入っていきます。雨は止まなさそうですねー。カステトノー=カンブロン(Castetnau-Camblong)という集落の中を通っていきます。

住宅街を抜けると、周りは次第に森に囲まれます🌳雨はだんだんと強まり、レインウェアを着ても染み込んできました。けっこう林の中を歩くので、靴もぐちゃぐちゃに。

考えてみれば、ひと月近く歩いてきて、ここまでレインウェアをほぼ使わなかったのは異常だったなー。

ずんずん歩いていくと、前に見覚えのある歩き方の人が。

ブノワさんでした☺️

3人でひたすら進みます💦

はるか昔に出発した5人組を追い抜き、気がついたら林を抜け広々としたところへ。少し登ると避難所がありました。地図上の"JEAN HAGET"というお店です。ここではコーヒーなどがいただけます。カミーユ、クレール、カティ。みんな次々とやって来ます。

カミーユと話すと、彼女も今日の宿は私と同じ"Ferme Bohoteguia"でした☺️

 

しばし休憩☕️

 

45分程して雨が止んだので出発です。

この店、若干不親切だったのが、トイレを貸してくれないことでした。どうすりゃいいのよ😥

この後はずっと下り坂の道路を歩いていきます。3人でウルトレイヤを歌いながら前進👣私はちゃんとした歌詞を知らないので、なんとなくの発音でごまかします😉

巡礼の歌 Ultreïa

 

雨はすっかり止んで、暑くなってきました。

しばらく進むとキャンプ場っぽいところが。ベンチがあるのでひと休み💨

もう半分以上来てしまいました。やっぱり20kmだと短いですねー😅

 

ずっと一本道で、突き当たりの家が数件あるシャール(Charre)という集落を右へ。ぐるっと迂回して、D23の大きな道路へ出ます。

D23沿い

ポールはレインウェアを手に持っていますね。なんでしまわないのかな?🤔

Le Saison

セゾン川を渡り、すぐに下の道に降ります。川で何人か巡礼者が水遊びしていますねー🤓いいなー。

次のリショ(Lichos)という村まで進みます。

ポールの貝殻

Roncevauxが近づいてきましたね。780kmかー

Lichos

街灯が道案内になっています。

のどかな集落ですね。私の祖母の住む地域にちょっと雰囲気が似ています。

のどかー

ここからまた徐々に登り道↗️

ずんずん登る💦周りはトウモロコシ畑です。

🥵

登り切ったところに標識が👀

えーと、サン=ジャンまで48km、ロンスヴォーまで70km、パンプローナ110km、コンポステルまで780kmと…。

おー😀🙌

なんだか嬉しいぞ😄

記念にポールと

何か持っているのは、その辺に成って食べたフィグです。

ポールとはあと70km、ブノワさんとはあと48kmかー…😔

仕方ないとはいえ、数字を見るとやはり別れの時が近づくのを感じます。

 

しばし休んで出発。と言っても、もう山をぐるっと回って降るだけなんですが。

なんか、家の雰囲気が変わってきましたね。もうすぐバスクの家も見られるはずです。

 

到着!

あっという間に着きました😀

13時ですね。早すぎる…。

と思ったけど、オーナーのシモーヌが受け入れてくれたので、すぐに入れました🙌

くつろぐブノワさん

ちょっとわかりづらいですが、典型的なバスクの家を模した作りのGîteです。バスクの家というのは、白い壁に赤い屋根に格子、窓という感じです。後日お店しますが、とにかく、一目瞭然です。

ブノワさんは別の宿なので、少しくつろいだ後去っていきました。ちなみに、ジョルジュとフローレンスも別の、というかもう少し先のGîte communalに泊まっていました。

 

割り当てられた部屋は3人部屋で、私はポール、カミーユと同室です🙌後々、カミーユはいつも私と同室を希望しましたが、それは、いびきをかかないからです。いびきは重要ですからねー🤭

Gîte Bohoteguia

 

ここの宿、評判も良さそうだし、実際とても快適だったけど、なんかユースホステルみたいな感じであまりGîteっぽくなかったです。部屋が多めで、トイレ、シャワーが館内中央にたくさんあるからそう感じたのでしょうか。

洗濯は全てやってくれちゃいました😅

夕食までどう過ごしたのか、全然覚えてないー。靴を乾かしたりしてたんだっけなー🤔

 

夕食

長いテーブルを囲んで夕食です。

手前がマスラックのビカトゥー農場でも一緒だったノルマンディーおじさん2人組。カミーユ、ポール、クレールもいますね☺️カティは別に食べるとかで不在でした。

バスカチョ

これは…いわゆるガスパチョです。バスクだからバスカチョと言っていましたが😅ちなみに、ここも家族経営の農場なので、全てここの食材を使用しているっぽい。ガスパチョはこれまでも数回出ましたが、やっぱりおいしいですね。

なんか中華チャーシューみたいな色の豚肉ソテーとお野菜、チーズ。見かけによらず、なかなかボリューミーです😋味もおいしい。

ちょっと気になったのは、というか、後で話題になったのは、これらの料理を運んできたのが、オーナーの2人の子だったことです。上の男の子は喋り慣れていて、でもまだ10歳くらいでしょうか。下の女の子はシャイで適度に裏山でひとり遊んだりしていましたが。

家族経営とはいえ、まだまだ幼いこどもを働かせるのはどうなのってポールたちは話していましたし、私も実際そう感じました。お客さんと喋ったりするならともかく、料理提供を普通にやっていましたからねー😥

これは、ヨーグルトだったかなー、アロス・コン・レチェだったかなー🧐忘れましたが、ここで出された食べものはすべておいしかったです😋

あと、夕食時に話題になったのは、旦那さんと男の子がピレネー越えをした時の話でした。結論、この子が行けるくらいだから大丈夫ということだったのですが、やはり、最初の登りは急でキツいとのことです。

歩き慣れているとはいえ、やはり不安はあるので、みな想像力豊かにワイワイガヤガヤしていましたね😊

 

夕食後、西の空を見上げます。

今日も一日が終わるー。

なんか、この辺りでは、スペインに入りたいような入りたくないような不思議な感じです。

入りたいと思ったのは、昔住んでいた懐かしさと、スペイン語を話せるので旅するのにいろいろと便利という2点です。それと、ル・ピュイを出発してからも度々思ったのですが、とにかくスペインに入れば自分にとって少し楽な環境になるだろうという甘い期待でした。実際はそんなことはなかったのですが。

入りたくないのは、これまでも何度も言及しているように、これまで歩いてきたフランスの風景、村、人、食事がとにかくすばらしかったからです。スペインでそれ以上になるとは想像しづらかった。特に、一緒に過ごした人に私はとても恵まれたので、その一点だけでも名残惜しさがあります。

さて、今後どう感じるかはその時が訪れないとわかりません。あるいは、自分が求めるもの次第でもあるでしょう。

いずれにせよ、無事に一日が終わることはとてもありがたいことです。