過ぎし日と来たる日

ル・ピュイの道や日々のあれこれ

Day 32

2022/9/11

32日目

Harambelz(Gîte Etchetoa) ~ Saint-Jean-Pied-de-Port(Gîte Le Lievre et la Tortue) : 26km

[http://]

とうとうこの日が来てしまいました。最初はどうなることかと思ったけど、意外となんとかなるものです。

サン=ジャン=ピエ=ド=ポール。今日の目的地です。ポールのコキーユに書かれていた通り、サン=ジャンPdPに着けば、ル・ピュイからおよそ780km歩いたことになります。

780km…。塵も積もればと言いますが、私にとっては塵では決してなく、一日一日が大切な思い出です。感傷に浸るにはまだ早すぎます。とにかく、サン=ジャンPdPに向かって歩き出しましょう。

Gîte Etchetoa

朝食をいただき、お世話になったニコラへあいさつ😊マリーも含めて、もっといろいろ話をしてみたかった。

私はバスク人の顔が好きなんです。

バスクというとスペイン側のETAが思い出され、過激主義やらテロやらが想起されますが、昔、ビルバオやドノスティア(サン=セバスティアン)を訪れたとき、バスクの人々は優しいと思うことが多かったです。表情も穏和な人が多い気がします。

 

さあ、出発🐾

まずは、オスタバを目指します。

Forêt d'Ostabat

今日も清々しい✨

いろんな景色を見てきましたが、どこもそれぞれの良さがあるものです。

私は、日本を旅したことがあまりないのですが、良くも悪くも、日本はどこまで行っても日本という感じがしますね。

東京に住んでいると、価値の計算が全てお金を介するので、自分の見る世界を交換可能なものだと勘違いしそうです。自然は交換不可能ではないでしょうか。

オスタバまでは3.5km。ほぼ道なりです😊

森の中をうねうね進んでいきます。

途中、猟銃を持った人と何度かすれ違いました。クマかな😰それともウシ飼いでしょうか…。三菱のイカツイ車も来ていましたが。

 

うーん、美しい😌

なんか、本当に色んなことがどうでもよくなります。

あ😶

満月ですね🌕

1日目に泊まったロシュギュードのGîteで、夜ご飯を食べながら反対の山に浮かぶ満月を見て、この先のことをとても不安に思いました。

あれからもうひと月ですか…。

皆さんも日々それなりに歩いていることでしょう。私もこの旅に出る前は、毎日職場との往復10km近くを歩いていました。ただ、ひと月でこれだけ歩いたことは過去にありません。

ただ歩くだけなのに、どうしてこうも救われる気がするのでしょうか。

もちろん、お金を含め、たくさんの準備が必要です。仕事も休むか辞めるかしなければならないでしょう。しかし、こう言っては身も蓋もありませんが、どうでもいいのです。

私には、ここで出会った人々の表情や、言ったこと、振る舞いが忘れられません。それはもちろん、自分も含めて。

例えば、5日目にサン=シェリーで宿が見つからなかったとき、私はその日までの自分の行動や、あるいはGRに来たことすら後悔し始めました。でも、結果はご覧のとおり、どうにかなるのです。たとえどんな選択をしたとしても、自分が選んだ道は、少なくともここでは悪くはならないものです。その繰り返しが振り返ってみてとても心地良い。ラ・チュニスで一緒だったドイツ人のパトリックがこの道は自分をリセットできると言っていたのがよくわかります。

知り合った人びと同様、そのとき私も間違いなく美しかったはずなのです。

 

 

影が長い

これから歩くスペインでは、基本的に西に向かって歩くので、常に太陽に追いかけられるように、自分の影を見ながら歩きます。ということを、1日目にカリーナが言っていました。

Ostabat-Asme

40分ほどでオスタバに到着😊村は静かですが、教会横にトイレ等もあるので休憩。

昨日ポールは"Aïre-Ona"というところに泊まるって言っていたっけ🙄カミーユはこのもう少し先の、"Gaineko Etxea"というところに泊まったそうですが、後で聞くと良くなかったそうです。

20分ほど休んで、出発です。

村の出口

きれいな木とバスクの家のコンビネーション。

ここからしばらくはのどかな道ですが、その後はサン=パレから続く大幹線道路D933の少し内側の脇道を歩いていきます。D933を歩く箇所も少しあるので、よそ見には注意しましょう。と言っても、幹線道路では見るものもありませんが、とにかく、誰かと喋っていると注意散漫になるので、もうすぐサン=ジャンだからと気を抜かずに確実に進みましょう。

 

しばらくは写真無しです。

それにしても、バスクの地名は変わっていますねー。Gainekoって。バスクと言えばXやEから始まる単語が多いイメージですが。

途中、ラルスヴォー(Larceveau)を通り、十字架(Croix de Galtzetaburua)のところで、D933を横断します。次のガマルト(Gamarthe)では教会の墓地で給水できます💧この後しばらく給水ポイントはないので、なるべく補給しておいた方がよいです😊

ここでクレールとバッタリ😀少し足を痛めているようで、相方のカティは先に行っているとのことです。大丈夫でしょうか😥

 

見渡すと、辺りにはヒツジがたくさんいます🐏

道はヒツジのフンだらけ。避けて歩く方が難しいので、乾いたところを選んで歩きます💦

お😯

道が…

行く方向に向かってヒツジの大群が歩いています😅小さな女の子とお姉さんらしき2人で、後ろから"aller! aller!"と棍棒を地面に叩きながらヒツジたちを移動させています。

こりゃ、ノンビリ行くしかないですね😄

 

15分ほどヒツジの後をノロノロと付いていくと、彼らは牧草地へワーっと入っていきました。これでようやく通常の歩きに戻れます☺️

🐮💬

今度はウシさんですか😅

それにしても、💬かわいいですね。とてもユーモアがあります。ここはブシュナリ(Bussunarits)というところです。時刻は11時半。

なんだかんだ、サン=ジャンPdPが近くなってきました。ブシュナリの集落を通りすぎた辺り、右手に小さな小屋があり、そこに蛇口があるので休みます😌と、先客が😯

ポールとブノワさんでした🤗

ブノワさんは2日前のボホテギア農場ぶり、ポールは昨日のソヤルツの礼拝堂で見かけて丸1日ぶりです。ポールが前方を指を差したので見てみると

😀

ジョルジュやフローレンスもいますね😊ここにきて皆揃った感じになりました。

それにしてもジョルジュはウシに威嚇されたり、相変わらずコミカルですね。

その後、皆でワイワイガヤガヤしながら進むと、すぐ次の町サン=ジャン=ル=ヴュー(Saint-Jean-le-Vieux)へ。

Saint-Jean-le-Vieux

活気があり、広場のカフェではくつろいでいる人がたくさんいました😊

ここでは特に休憩もせず、そのまま歩き続けます。もう次はサン=ジャンPdP

幹線道路を渡り、しばらく進むと小川の手前に小さな教会が。このマドレーヌ教会は昔からあるようで、ピンクがかった石で作られた素朴な建物です。と、誰かが待っています😯

白髪に白い髭の優しそうなおじさん。…誰?

ポールがその人をクリスチャンと呼ぶので知り合いかと思ったら、彼女のお連れ合いでした😳ポールは今回の旅がロンスヴォーまでなので、明日帰宅するために車で迎えに来ていたのでした。

そっかー🥲

で、ここからサン=ジャンPdPまでの2kmあまりを一緒に歩こうとここで待っていたようです。

 

少し休んで出発。

目的地はもうそこです。

最後の急坂を登れば

Porte Saint-Jacques

到着😌

Paule、Benoîtさんと

13時にサン=ジャンPdPに到着です。

Saint-Jean-Pied-de-Port

 

ここが、スペイン内のメイン巡礼路カミーノ・フランセス(フランス人の道)の出発点。ここからサンティアゴまで歩くと、およそ800kmの道のりです。

一応、「フランスで最も美しい村」のひとつなのですが、これだけ人も多く、賑わっていれば、もはや町ですね。

ル・ピュイからは、ポールのホタテ貝にも書いてあったように780kmで、ちょうど半分くらいでしょうか。私の場合、幸いなことに、大きな怪我やトラブルもなく、順調に歩けたので、ほぼ当初の予定通りの日程で来られました😊

村には、ここから歩き始めるであろうバックパックを背負った人びとがたくさんいます。何回も歩いている人はともかく、初めて来たっぽい人からは目が据わっていなく、不安と緊張がかなり伝わってきました。とくに、アジア人(その多くはおそらく韓国から来た巡礼者)から。

彼らにはその緊張感を大切にしてほしいと思いました。なぜなら、自分もル・ピュイからしばらくはそうだったし、なにより、私自身への戒めにしたかったからです。

何度か書いている通り、私はスペイン語を使えるので、スペインに入ればこれまでよりもラクに歩けるだろうと安直に考えていました。しかし、だからと言ってこの巡礼の道を、その精神から外れるような振る舞いだけはするべきではないでしょう。

 

ちょうどお昼時だったので、その辺のお店へ。

🥂

クレープやらお肉やら置いてあるお店でした。

ハムとサラミ

ジョルジュ

なんか、食べたような食べていないような😅

食べ終わったら、巡礼事務所へ。

事務所

ここでは、初日の巡礼者へのアドバイスと、ピレネー越えの注意点を教えてくれます。あと、事務所の壁には昨年ここを訪れた巡礼者の国籍とその数が記されています。コロナ禍ということもあり、日本はチラホラ。アジアでは韓国が圧倒的に多かったです。実際、この後、韓国人をたくさん見ました。

 

説明は聞き終わりましたが、ついでに、新しいクレデンシィアルを購入。これで最後まで持ちそうです☺️

それでは皆と別れて宿へ。今日は"Gîte Le Lievre et la Tortue"。「ウサギとカメ」でしょうか。受付は若い女性2人でしていました。私の部屋は2回のテラス側。またカミーユと同じ部屋でした😊

この宿は夕食なし、朝食は基本的になくて、シリアルなど置いてあるものをどうぞというかんじでした。まあ最低限といったところでしょうか。サン=ジャン全体がそうなのかもしれませんが、建物がかなり古く、歩くたびに床がギーギー鳴って、かなり気を遣いました😥シャワーやトイレもあまり使い勝手がよくありません。

私の部屋はベッドが6台あったのですが、耳栓を貫通するほどのイビキをかくじいさんと、22時過ぎに到着して荷物をガチャガチャやって歩き回っている隣人とで、全く快適ではありませんでした😱カミーユは翌朝3時に出発していったのですが、後で聞くと、隣人のイビキ貫通じいさんのせいでまったく眠れなかったそうです😇宿もネットでは高評価だったのに、良くなかったと言っていました。全く同感。

高望みするわけではありませんが、良いのは立地だけって印象です。

 

村を少し散策。

教会やら門やら。

橋の上から

観光地だけあって、かなり賑わっていました。アジア系のマスクの集団もいたので、スレ違い様に聞き耳を立てたら、日本人のツアーでした😳ツアーでこんなところまで来るんですね。ちょっとオドロキ。

人多くて疲れるので、宿でひと休み。ポールたちと連絡を取って、夕食時に落ち合うことにしました。

 

とあるレストラン前で落ち合って6〜7人くらいで入ってみたら、予約でいっぱいとのことで、ぶらぶら探します。結局、村外れのピザ屋で食べました🍕カミーユは別のレストランでカティ、クレールと食事しているのを見ました🍖3人はナヴァランクスの宿で一緒になったときから気が合うみたいです。

明朝の出発時間を相談して、6時に集合にしました。しばらくは真っ暗な道を登っていくことになりますね。

明日にはスペイン入国かー、とか思って横になったのですが、正直言って、サン=ジャンで爆発的に増えた巡礼者の数にビビリ散らしていました💦というのは、のんきに歩きたかったのに、ベッド争奪戦が始まる予感しかしなかったからです。特に今年(2022年)は教皇が特別に"el año santo"「聖年」と定めたので、巡礼者が殺到しました。それは、本来、前年の2021年が11年ぶりに「聖年」だったのに、コロナ禍で人もまばらだったため、特例で今年もやることにしたからです。私はそのことをスペインに入ってから誰かに教えてもらったのですが、はっきり言って幻滅したというか、そんな特例作っちゃダメだろと思いました。

ともかく、明日のピレネー越えでフランス編は終わりです。スペイン編はどうしようか迷っていますが、気が向いたら書いてみます。

私がこれを書こうと思ったのは、もちろん、この道を歩きたいと思っている人の助けになれればというのもありますが、なにより、自分が出会った素晴らしい人々との記憶を残しておきたかったからです。なるべくオープンマインドでいようと思ってはいたのですが、私は性格的に特段明るいわけでもないので、誰とでも仲良くなれたとはいえません。それでも、想像以上に人や歴史の精神性に触れる機会があり、自分もまた影響されながら歩き続けることは、私にとってはとても心地よいものでした。"esprit de chemin "を体現する人々との邂逅。自分自身の脱構築と再生こそこの旅の醍醐味だと思います。