過ぎし日と来たる日

ル・ピュイの道や日々のあれこれ

社会は雑な方がいい

最近、外国人観光客が急増して、Youtubeにもやたらオススメで彼らへの街頭インタビューが出てきます。

皆一様に、「日本はとても清潔」と口にします。これはたしかにその通りなのでしょう。

 

日本から外国に旅行に行くと、ラクガキの多さやもちろんゴミのポイ捨ても多く、辟易することがけっこうあります。

東京も缶やペットボトルのポイ捨てはまあまあ見受けられますが、まあ優しいものです。そういう意味で「日本は清潔でキレイ」とは言えます。

しかし、それでも外国の町はキレイでいいなあと思うわけです。

私がたとえばヨーロッパのどこかの町の写真を見てとてもキレイに思えるのは、そのような細かいところではなく、そこに写る全体を見て「ああ、キレイだな」と感じるからです。

 

私とて町が汚いことが良いとは思いませんが、「キレイにしすぎる」よりはよほど健全だと思うのです。

先程の例でヨーロッパの町を挙げましたが、あれは建物のキレイさ以上に、町としての統一感がその要因でしょう。では、日本の町をどこか撮ってみるとして、道路はきれいかもしれないけれど、町全体としてキレイかと問われると疑問です。

この辺の考えの違いが息苦しさ、窮屈さにつながっているのではないでしょうか。

 

たしかに、細部にこだわってより良いものを生み出すことは立派なことでしょう。しかし、これが国全体、社会全体で行われたら。

これは互いの監視を強め、暗黙の了解を基にした陰湿な共同体になります。

 

大きな枠だけしっかりしていれば、社会は雑な方がいい。

以上、町を見比べて感じたことでした。