2022/9/2
23日目
Larressingle(Gîte La Halte de Larressingle) ~ Eauze(Gîte communal) : 28km
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夜中に雷雨があって何度か目が覚めました。
それとこの辺り空軍が演習しているのか、飛行機の音もけっこう聞こえましたね😣まったく、のんびりした場所を飛ぶなんて。
今日も少し距離があるので朝食は早めの6時半にしてもらいました。
自家製のパンと、コンフィチュールもたくさんあり、そのいくつかも自家製でした😋
足首はまだ痛みがあるものの、腫れやむくみも多少は引いたのでなんとかイケそう。
7時半の出発前には雨も止み、ずぶ濡れは避けられそうです😌
お世話になったイサベルとパトリスともお別れです。非常に心のこもった歓迎で気持ちよく過ごせました☺️
左からパトリス、イサベル、ポール
お二人とも、どうもありがとう😊
出発後はGR65に戻る道を進みます。と言っても、宿の前の道路を10分ほどまっすぐ進むだけですが。
Pont d'Artigues
GRに戻るとすぐに石の橋があります。
もともとは古い橋のようですが、どうやら修復されたのかだいぶ新しく見えました。
橋を渡る前にまた小雨が😰
長引かないでほしいけど。
橋を渡ったら次の十字路で右折、10分ほどその細い舗道を進みます。マークがあるところで左折し、土の道に入ります👣
この辺りで雨は止みました😊
ポールと話しながらす進みます。
振り返ると太陽が☀️
前を行くポール
ポール、背筋がピンとしていて70歳とは思えない😳
風景が美しすぎる🥺
オヴィラールの時もそうでしたが、雨上がりの朝はとても美しくなります。
こういう所にはいるだけで幸せな気持ちになります。
🥺💨
出発から2時間弱で次の村モンレアル・デュ・ジェール(Montréal-du-Gers)に到着しました。
このモンレアルも「最も美しい村」の一つで、バスティードの村です。
何本かの通りが平行に並んでおり、村の中心にはアーケードに囲まれた広場があります。作りは同じ「美しい村」のロゼルトによく似ています。
ちょうどマルシェをやっていたのでポールと少し覗いていきました。
教会も。
あまり陽の入らない、薄暗い教会でした。
モンレアルには長居せずに出発。
村の少し西方にはガロ・ロマン時代の遺跡が残されていますが今回はスルー。
ここから南下していきます。
一緒に歩いているポールから自宅で採れた小さなリンゴのお裾分け😊🍎
ナチュラルと言っていた通り、栽培されたものとは違い、素朴な味でおいしい😋
田舎道から林の道を進むと、橋の下に下りていく道に90度方向変換⤴️一路西へ進みます。
この辺りからは一面のブドウ畑が広がります。たぶん、アルマニャック用のブドウでしょう🍇
ちょっと取って食べてみたかったけど我慢我慢😅
畑の中や田舎道をひたすら歩いていきます。途中、民家や休憩できるところはほとんどありません。
モンレアルから2時間ほど歩くと、登り坂の上に休憩所が見えてきます。
ル・ミル・ボルヌというGîte兼休憩所です。
そこであれ?見たことあるおじさんが🙄
昨夜ラレサングルのイサベルとパトリスの家に遊びに来たおじさんでした。皆フランス語を喋っていたのでわからなかったのですが、確かに明日会えるよみたいなことは言っていたのです。こちらの方だったんですね☺️
ちょうどお昼時だし、軽く食事もとることに🍽️
トマトとキュウリのサラダ🍅🥒
ここの名前とシンボル、どういう意味かと思ったら、サンティアゴまで残りちょうど1000km地点ということでした😀
1000km😳⁉️
まだまだやんか😅
気分的にはもう1000km歩いた感じなんだが😂
そういえば、ポールがなぜ歩くのが速いのか説明していませんでした。
彼女はピュイ・ド・ドームという火山地帯の辺りに住んでいるのですが、地域の人たちに体育や体操を教えているのだそうです🤸おまけに、標高の高い場所で毎日3時間ほどは歩いているらしいので、心肺機能も強いんです。
彼女が漏らしていた不満は荷物が重いということだけで、道がキツいとかそういう話はいっさい聞きませんでした。
まったく驚くべきことです😳
ミル・ボルヌを出発して道を降っていくと、ひたすら林の一本道を歩き続けます🌲🌲
結論から言うと、オーズまでの8kmほど2時間あまり、この一本道が続きました😅
さすがに足首の古傷が痛くなり始めて少ししんどかったですが、ポールも一緒だったので安心して歩けました。ただ、誰もいないと不気味だし、道が間違っていないか心配になるかも。
この道がなぜ一本かと言うと、もともと廃線になった線路が通っていたからなんです。途中、このブルターニュ・ダルマニャック(Bretagne d'Armagnac)という村の廃駅があります。こちらの線路は完全に取り外されていますが、フランスにもあちこちに廃線跡の線路を見かけました。人の跡を見ると少し寂しさを感じます。
2時間はさすがに長かった😰
町が近づいてきた時はさすがにホッとしました💨というわけで15時前にオーズに到着。
ちなみに、オーズは「ェオーズ」みたいな発音でした。
想像では木が多くてキレイな町をイメージしていたのですが、パッと見、工業的な町という感じです😕
とりあえず予約したGîteへ。この町では町営のGîte communalを取ったので観光案内所で手続きをします。手続きは全てポールにおまかせ😙
Gîteは観光案内所のすぐそばで町の中心アルマニャック広場の脇にありました。
中は誰も居ず、2階にベッドが6台ある広い部屋と部屋の中にシャワー&トイレ、別室にダイニングがあります。3階もあるようですが、見ていないので詳細不明。
建物は古いですが清潔でかなり良いです⭕️何より立地がバツグン◎
オレンジ食べ放題
シャワー、洗濯を終えたら各々町を散策しに行きます。各々と言ってもポールと2人だけなのですが😅と思ったら雨が降ってきたので即座に撤収🌀
また今後の行程を考えます。
2日後のエール・シュル・ラドゥールまでは予約しているので大丈夫。ポールにその後どうするか聞くと、アルザック(Alzacq-Arraziguet)が〜と言っているので、アルザックまで33kmもあるからその7km手前のピンボ(Pimbo)にしようかと思うと言うと、そこがいい!となりました😄
ポールは"Miam Miam Dodo"を見ながら距離を試算していたのですが、どうやら計算を間違えていたようです。
さっそくTELしてもらい予約😙ここも村営の宿Gîte communalです。
その後の行程ももう少し考えます。ピンボからアルザックまで7km、その後は小さな集落がポツポツあるようで、割とこまめに宿を設定できそうでした。
この頃になると、国境の村サン・ジャン・ピエ・ド・ポールから逆算してどこに泊まるかという風な考え方も同時にしていました。
私の場合だと、1日前はオスタバ(Ostabat)、2日前はアルー(Aroue)、3日前はナヴァランクス(Navarrenx)の行程で進みたかったので、そこから1日25km前後の行程を同時に考えていました。で、ちょうど良さそうだったのが、ナヴァランクスの22km手前マスラック(Maslacq)に一泊、その前日、つまりピンボから歩く日はマスラックから23km手前のユザン(Uzan)がちょうどかなーという感じです。
あまりポールに頼ってばかりでは申し訳なかったので、ユザンには"Chez Darribère"という所にメールで連絡を入れときました。
ポールにユザンにしようと思うというと、彼女はもう少し歩きたいからその少し先のポンプ(Pomps)にしようかなーと言っていました。
で、その後は?と聞かれたので、先程言ったように、マスラック、ナヴァランクス、アルー、オスタバ、サン・ジャンと教えたらやっぱりそれがいいということになりました😄
雨が止んだようなので町に出てみましょう。
Eauze
まずはカテドラルへ。
外観と内部の印象が全然ちがう…🙄
非常に美しい教会です。
特に、高い天井と壁の色が印象的で、ゴシックにしてはかなりスッキリした感じですね。
まだら模様と言えば良いのでしょうか。大小さまざまな石やレンガによって組み立てられています。
うーん。良い場所です。
外に出て周囲を巡ってみます。
……😅あまりキレイな町ではないですね。キレイではないというのはゴミが多いということではなくて、見所が少なく特徴がないという意味です。なんていうか、ただ家が立ち並んでいるだけなんです。
フラフラ歩いてカテドラル前に戻ってくるとポールがぽつねんと立っていました。
そして一言、"Not beautiful"😂
やっぱりそうか、と思いました。逆に言えば、これまで巡ってきたところが非常に美しかったということですね😉
足も痛かったし戻ろうかと思ったけど、久々にお菓子でも食べようと近くのパティスリーへ。適当に2つ買って部屋へ戻ります。
上のチョコが厚めでクリームたっぷり。これは美味しい😋
アーモンドタルト
味は忘れました。ということは普通だったのでしょう。コーヒーも淹れてひと休みです。
しばらくマッサージしたり日記を書いたりしていましたが、19時半ごろ夕飯を食べにポールと外に出ることにしました。
特に食べたいものもなかったので、目の前のアルマニャック広場のレストランで済ませることに。ここでも翻訳機能を駆使してポールと会話しながら過ごしました☺️
ポールにGRの印象を聞かれ、はじめの方に若い世代や小さな子ども連れで歩く家族が多くて驚いたという話をしたら、宗教的な教えを実践する精神的な試みとしてちょうど良いという答えが返ってきました。これは家族のハイカーに対しては文字通り信仰心の強さを言っているのと、それとは別に、この触れ合いの道を若者が望んでいることが現代に対する精神的な解放の試みになっているという意味だと思います。以前にも話したように、私が触れ合った若者はみなフレンドリーで自由な雰囲気を謳歌していました。
ラム肉のステーキ
うまっ😳
臭みがなく、味わい深くておいしいです😋
ポテトが多すぎたのはちょっと余計でした。
この辺りはフォアグラが有名で、このレストランのメニューにもあったのですが、気が進みませんでした。
昔スペインにいたころ、新年を迎えるパーティをやって各自持ち寄りで料理を出し合ったところ、ボルドーから来ていた女の子が自家製のフォアグラを持ってきて、その美味さに驚いたものです。それまではただの脂臭いパテかと思っていたのですが、やっぱり美味しいものを食べれば違うんですね。
料理を食べ終えて宿へ帰ります。
Place d'Armagnac
結局、この日もポールと2人だけの夜でした。
翌朝は明け方に町の人がパンを持ってきてくれるということです。
後でスペインに入ってから、この頃のことをよく思い返しました。
モワサックから先はハイカーもそれまでより格段に少なく、歩くのも眠るのも穏やかで心地良い日々が続いていました。フランスには慣れたものの、早くスペインに入りたいという気持ちもあったので、今となってはフランスをもっともっとゆっくり歩けば良かったなーと、後悔ではないのですが、時間をかけてもよかったと思います。
ポールはロンスヴォーまでなので、言っても数えるほどしか一緒にいられません。このような日々が後になって貴重だったなと気づくのが人生の難しさかもしれませんね。