過ぎし日と来たる日

ル・ピュイの道や日々のあれこれ

そのお金は誰のものか

唐突ですが、魯迅の小説に『狂人日記』というものがあります。この作品も例に漏れず、当時の中国の社会背景や因習などを知らなければ分かりにくいでしょう。端的に言えば、「人が人を食う社会」を描いているのです。

これは文字通り、病気を治すために人肉や血を材料にした饅頭などの食べものが食されていたというカニバルの面もありますが、むしろ、自分のために誰かを犠牲にするという社会構造について描いていると思われます。

さて、現代ではどうでしょう?

一般的に言って、正当に働いて稼いだお金は自分のものに違いありません。しかし、そのお金は本当に間違いなく自分のものでしょうか?

正規雇用の人はだいたいの方が自分の時給および給与額に不満を持っているのではないかと思うのですが、これはよく言われるように「食いものにされている」からですよね。「食っている」のは誰かと言えば、もちろん自分より上の人たちとなるわけですが、逆に言えば自分より給与が少ない人たちを自分が「食っている」状況もあり得るわけです。それ以前に、「割に合う」仕事というものがあるのかという問題がありますが。

だから私の給料は正当ではないと言いたいのではなく、魯迅の描くところの「人が人を食う社会」という比喩は意識しておくべきだと思うのです。なぜなら、それこそが人の不幸や痛みへの共感につながると考えるからです。

この10年で人のお金の使い方が大いに変化したように感じます。なんというか、有名人だけでなく、「一般人」が何かに費やすお金の量が桁違いに増えた気がします。実質賃金は減っていると言われているにもかかわらず。

「人の振り見て我が振り直せ」と言いますが、こういう小説から学ぶことも大いにあるとこの頃思います。